活動の記録

戯れ言

すっかり間が空いてしまいました…すみません。

最近、大変ありがたいことに少しだけ忙しい日々が続きまして

レンタル暗室業とは関係ない(?)ところでも、いろいろと動いておりました。

実は、花粉にやられて頭がボーっとしていたというのもあるのですが。

 

さて!もう前回のお話しが皆様(自分)の頭の中から

消えていってしまったかもしれませんが…続きを書かせていただければと思います。

 

「ワークショップやるから!」と意気込んでみたは、いいのですが

やはり、何をやるにしても必要経費と言うものは存在するわけです。

実際、1クラス30名で今回の内容を行うとなれば

フィルム、印画紙(バライタ紙)、薬品などを結構な量、準備しなければなりません。

印画紙一つみても、前々回くらいに、ちょろ~っと書きましたが

1カット1枚で仕上げることは非常に困難ですので

余裕をみると1カット辺り3枚ぐらいは欲しいわけです。

ましてや、今回は実作業を行うのが子供たちですから

想定外の事態も考慮すると、1カット辺り5枚程度の余裕はみておきたい。

そうすると5枚×30名=150枚。

加えてベタ焼き(コンタクトシート)用にも、別途印画紙が必要になります。

昨今の感材事情を考えますと、決して軽視できる費用ではありません。

フィルム現像費、講習費、人件費もろもろ他の部分は飲み込むとしても

これは、いかんともしがたい。

ましてや、うちみたいな弱小暗室では。

ですので、先生には正直にその旨をお伝えすることとなりました。

「材料費には関しては、こちらで持つことはできない」と。

そうして、なんとなく悲しい空気が流れる中、その日のミーティングは終わりました。

私は、心の中で「現実は厳しいなぁ。実現しないかもなぁ」と思っていました。

 

ミーティング後、何となくそのことが頭によぎりながらも日常は過ぎて行きました。

ある日、私がテレビを見つつ鼻をほじりながら店番をしていると

弊社と取引がある印画紙関係の代理店の方が、フラッと立ち寄ってくださいました。

しばらく世間話をしていたのですが、途中でハタッと気づき

「こ、これは駄目もとで相談してみよう」と思い

今回の事の顛末をお話しさせていただきました。

先生の想いや経費の事など、終始真剣に聞いてくださり

最終的に「ぜひ前向きに検討させてほしい。できる範囲でご協力したいので

詳細が固まったら改めてお話しを聞かせてください」というお返事が。

私の頭の中に「ヒャッハー!」という声が響き、世紀末が訪れました。

<ユア ショック!

 

と言っても解決できそうなのが、まだ印画紙の部分だけでしたので

先生にはお伝えするかどうか少し悩んでいました。

記憶では、ちょうどその位のタイミングだったかと思うのですが

私は齋藤から、さらに衝撃的な言葉を耳にすることとなります。

 

「先生、教育委員会の助成金獲ったってよ!」

 

<ユア ショック!

再び、世紀末が訪れました。

いつの間にか、ここは23世紀に。

 

助成金の額には限度があるので、その中でどう上手くやりくりしていくか

という問題は依然として残されていましたが、これで開催の目途はたちました。

後に、代理店の方も「不思議と、こういう時は何かが呼ぶもんなんですね」

と仰っていましたが、個人的に今回のワークショップでは

いろいろな事が自然と繋がっていく感じがありました。

ちょっとオカルトちっくになっちゃいますが

それはきっと、人の熱意が伝染していったからなんだと思います。

先生の想いがいろいろなものを引き寄せてきたのかなぁ、と。

私が大学生だった頃、ある方に「結局、人を動かすのは情熱なんだよ」と、サラッと言われました。

安定の捻くれ者だった私は、その表面上だけの意味を読み取って

「そうはゆうても…」と、内心思っていました。

 

「人を動かすのは情熱」

今は、その意味が少しだけわかった気がします。

 

てなわけで、ワークショップは開催する運びとなりました。

ですが、なかなかすんなり事が進むということは少ないもので

また、ちょっとした問題が起こったりするわけです。

 

次回はそのお話しでも…。

 

 

ポエティック神谷

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最近、花粉がひどすぎて生きているだけで疲れてしまいますが

皆さんは大丈夫ですか?

朝起きて晴れていると憂鬱になり、雨だと少しホッとする変な時期です。

 

さて、今回は、以前からtwitterでちょくちょく呟いておりました

とある小学校で行わせていただいたワークショップについて書いてみたいと思います。

ちょっと前のことなので記憶が怪しい部分もあり

多少の誇張が入ってしまっていたら、すみませんm(_ _)m

 

時は平成29年の夏(ごろ)。

ある日、弊社代表の齋藤に呼ばれてミーティングルームに行きました。

そこには、以前より齋藤とお付き合いのある小学校の先生がいらっしゃり

「フィルム写真に関することだから一緒に聞いて」とのことで、しぶしぶ同席することとなりました。

しばらく聞いていると「区政90周年を記念して、何か後に残るものを作りたい」

という内容ぽかったので「暗室関係のワークショップかな?」と思い込み

私は勝手に段取りなどを考え始めていました。

しかし、お話は途中で思わぬ方向へ進んでいきます。

 

「もちろん、単純に写真を一から自分で作る楽しさを体験して

それを残して欲しいというのもあるのですが…実はそれだけではなくて」と、先生。

予期せぬ言葉に、私は頭にハテナマークを浮かべていました。

「何と言いますか、最近少し違和感を覚えるんです。

子供たちが算数のように一つの答えだけが正しいと思ってしまうようで。

その上、それを誰かが正解と言ってしまうと皆が追従してしまう。

もっと、いろいろな考え方があってもいいってことを

写真を通して子供たちに伝えられたらな、と思うんです」

私は間抜け顔で「ほえー」と呆けてしまいました。

 

話しは飛びますが、私は小学生の頃に、とある体験をしました。

学校で「お休みの日の出来事を絵に描いてくる」という宿題がでて

私はちょうどその週の休みに父親と海に行ったので、その絵を描くことにしました。

それは、夕暮れの海岸に父親が作った砂の城の絵でした。

特段綺麗な海ではありませんでしたが、子供ごころに

何となくその光景が印象的で、自分が思う美しい景色として描きました。

砂浜は黒く、海は白く、空は緑に塗って描きました。

宿題提出の日に、自信満々で先生に見せます。

そこで先生から返ってきた言葉

「これはおかしい。

なんで砂浜が黒いの?灰色じゃない?水は青じゃない?空は緑色にはならないでしょ。」

うろ覚えですが多分そのような内容だったと思います。

 

私は、とてもショックを受けました。

今考えてみれば、べつに自分の絵を貶されたことはよかったのです。

(そりゃ、褒められたらめちゃ喜んだと思いますが)

ショックを受けた原因はきっと、自分が美しいと思ったものが

世の中では「おかしい」のだ、というギャップにぶち当たったからなのだと思います。

少なくとも、これは先生にとって正解ではないんだと。

その頃から安定の捻くれ具合をみせていた私は

反論したい気持ちはあるのですが、それだけの語彙力も説明する力もなく

ただただ、うつむくしかなかったことを何となく覚えています。

 

そんなことを間抜け顔で呆けながら思い出していました。

そして今、目の前に逆のことを伝えようとしている先生がいる。

何かフツフツと、こみ上げてくるものがありました。

で、何回か齋藤と私で学校に行って、少しお話しをして解きほぐし

モノクロフィルムで写真を撮って、暗室で自分でプリントをする

というワークショップはいかがでしょうか、という話になりました。

 

どちらの先生が正解なのかなんてことは、私にはわかりません。

そもそも、こんなことに正解も何もあるものなのかとすら感じます。

正直に言えば、私はごくごく個人的に

昔の自分を救ってやりたかっただけなのだと思います。

結果的に、私個人の思いに先生や子供たちを巻き込んじゃったわけです(笑)

ごめんね。

 

…と調子こいて「やるから!」みたいに話していますが

現実は厳しく、このワークショップを行うにはフィルムや印画紙、薬品代など

結構なお金が必要になるという大きな壁がありました。

それがどうなったのかは、長くなってきたのでまた次回に…。

 

 

ポエティック神谷

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生贄のことば

2018-03-02

ブログも四発目となり、そろそろ大義も果たした(?)だろう

と勝手に思い込み、より好き勝手に書いていきたいな、と思っております。

凄く目立ちにくいのですが、本ブログは一応、記事ごとにカテゴリー分けをしています。

今回の記事のようにカテゴリーが「戯れ言」の場合は

個人的主観増し増しの内容になるかと思いますので

予めご了承の程、何卒、宜しくお願いいたしますm(_ _)m

あくまで個人的な考えで、他の何かを否定する意味はありませんので

本当に軽い気持ちで「戯れ言」として読んでいただけると嬉しいです。

 

さて、前回の最後に書き足りない部分がある!と宣言してしまったのですが

実は、それほど大した内容があるわけではなく…。

何を加えてお伝えしたかったかというと

「一枚の写真を印画紙一枚で仕上げるのは、ほぼ不可能」

というだけのことなのです。

 

印画紙は光の当たる量(露光時間)によって濃さが変わるようにできています。

プリントの濃さは基本的に、薬品に浸ける時間ではなく露光時間で調整をします。

少ないと薄く、多いと濃くなり、自分でプリントをする場合は

ちょうど「いい感じ」の時間を、自分で見極める必要がでてきます。

ただ、露光時間はネガの濃さや、焼きたい大きさ、機材の種類などによっても

変わってしまうので、今の条件でどれくらいが「いい感じ」なのかは

テストをしてみないとわからないわけです。

 

テストの方法はいくつかあるので、ここで詳しく言及はしませんが

画面の一部分で露光時間を変えたものを、実際に焼いてみて良さげな時間を見つけます。

それから、一枚まるごとを、その良さげな秒数で焼いてみます。

焼いてみてビシッ!と「いい感じ」になっていればいいのですが

「全体でみると、もうちょっと濃い方が…」

「もっとメリハリをつけたい…」

「この部分だけ濃くしたい…」など

いろいろと試行錯誤をすると、一枚の印画紙のみで完成形を作ることは

なかなか難しくなってきます。

なので多くの場合、皆さんが観る完成形としての写真の下には

多数の印画紙が生贄になっていたりするわけです。

めんどくさいですよね。

 

じゃあその「めんどくさい」は、単に不自由でつまらないものなのか。

ここから個人的主観増し増しでお送りします(笑)

 

個人的には「そんなことない」です。

先程、「生贄」という言葉を使いましたが

私の中で、完成形に至るまでの印画紙を例えるのに

これほどしっくりくる言葉はありませんでした。

それらの印画紙は見方によっては単に失敗なのですが

死に際にうるさいぐらい話しかけてきます。

「ここ、もっとこうじゃない?」

「あえて、こうしてみるとか?」

「撮影の時に気をつけてればね…」など

有益なものから、邪魔なもの、手遅れなものまで…

本当に多くのことを語り、さまざまな可能性を示してくれます。

作り手はそれらに、時に惑わされ、悩み、そして新たな知見を得ます。

そのうえ、彼らの言葉は決して暗室内に閉じこもったものではなく

撮影やフィルム現像の時に役立つものも多かったりするのです。

なんなら、自分の作風すら変えてしまうくらいに。

 

職業としてのプリンターでない限り

暗室作業は強制的に自分の写真と向き合う時間です。

「おれはこの路線でいくんだ!」と定まっている方はいいかもしれませんが

多くの方は、私のようにフニャフニャしていると思います(失礼)。

その際は、どうぞ生贄たちの言葉に耳を傾け、相談しながらプリントをしてみてください。

その中で、自分の好みを先鋭化させたり、視野を広げてくれる瞬間に、きっと出会うと思います。

それが偶然だろうが何だろうかは大した問題ではありません。

むしろ、その偶然をギュッと握りしめて離さないでください。

いろいろな気づきに出会い、自分でチョイスしてきた

そういった相談を繰り返していって最終的に残ったものが

そのうち作風になっていくのかも、と私は思います。

もしかしたら、それこそが暗室作業の醍醐味の一つなのかもしれませんね。

 

たかだか私ごときが言うには、おこがましい内容も多いかと思いますが

「戯れ言」はこんな感じでヌルーっと書かせていただけますと幸いです。

twitterを見て「ちゃんと読んでるよ!」と声をかけてくださった方々

ありがとうございます(笑)

とっても励みになります!

 

 

ポエティック神谷

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